銀の馬車道ウオーキング 2

2018年10月27日

天気予報では この日は雨。

朝起きた時は 雨が降っていました。 出かけるときは 雨が上がっていました。

念の為雨具をもって出かけました。

が。爽やかなお天気に恵まれました。参加者は 皆心がけのいい人ばっかだったようです。

生野銀山から飾磨港まで 約50キロのうち 

前回は生野峠過ぎの神崎農村公園まで歩きましたので

今回は 農村公園から スタートいたしました。

生野銀山は 朝来市にありますが 農村公園は兵庫県神崎郡神河町。 

前回は 市越えをして歩いたことになります。 

今回は ここから飾磨港を目指して北から南へ歩きました。

まずは 大歳神社へ。 銀を運ぶ時 この神社の側を通って行ったことになります。

境内には寄り添うように立つ姿から 夫婦杉といわれる一対の杉がありました。

樹齢約300年。





「長寿と繁栄を映し、この間をくぐり廻ると縁結び、夫婦仲むつまじく、

家内安全を願います。感謝の気持ちがあるときっと願い事が叶いますよ。」

と書いてあります。  

いまでも 充分夫婦仲むつまじくありますが より 一層ご利益がありますよう

何度も廻ってまいりました。


そのご 道の駅「銀の馬車道・神河」の広場で お弁当を食べました。

地元の食材を使った 高級感あふれるお弁当でございました。



明治初期につくられた銀の馬車道 現在は ほとんどが舗装されていますが

一部 そのまま 保存されているとこがあります。

満腹になったあと 現存されている道へ。 向かう途中 こんな看板がありました。

 

子供に注意を呼び掛ける標識は よく見かけますが この辺りでは

老人に注意 でしょうかね? 





池にそって桜の木が植えてありました。 

桜の季節には桜を眺めながら馬車を走らせたのでしょうね。

馬車を走らせるために 石や土を固めて基礎をつくり、 高速が出せるように高低差をなくし直線に近づける

当時の最先端の工夫が盛り込まれた土木技術構造だそうです。

日本で初めての産業道路と聞きました。

そして それから 銀の馬車道交流館へ。 

詳しい資料が たくさんありましたが ゆっくり見る時間がありませんでした。





資料館にいた 馬車。

その後 地元の観光ボランティアさんの 説明を聞きながら 福本藩陣屋跡まで 歩きました。

この あたりは 

池田輝元 と 家康の娘 督子 との間に生まれた 輝澄 以下子々孫々

明治維新まで 福本藩 として

いわゆる 家康の縁者の地として 栄えたそうです。



茅葺のお寺 徹心寺

福本藩池田氏の菩提寺

山門は県指定文化財になっています。







福本藩陣屋の後です。 大きな屋敷があったようです。 庭園は残っています。 

本来一千万石以下の大名は 参勤交代の義務はないのだそうですが

福本藩は 家康の子孫ということで参勤交代していたそうです。

ボランティアさんが 我が地の 尊敬すべき人物として

詳しく説明してくださいましたが・・覚えきれませんでした・・・

いや。 特産品や 町並みの自慢や。 たくさん たくさん説明してくれました。

でも 覚えきれませんでした。

地元のボランティアさん 覚えきれなくてごめんなさいm(。_。)m ペコッ



以上 ここで 銀の馬車道ウオーキング2回目は 終了です。

バスに乗り込んだ私たちを 

ボランティアさんたちは いつまでも手を振って見送ってくださいました。







本日の歩数は  22489歩でした。


お疲れ様でしたd(#)^●^(#)b


次回は ここから 姫路に向けて 南下 いたします。





余談ですd(#)^●^(#)b

道の駅で こんなんを見かけました。

 白城の恋人

以前大阪では 面白い恋人を 発売して騒動になったような気がいたしますが・・・